2025/04/29
イベント
創立記念講演 小野久代さん(高校3回生)
今年は戦後80年。
昭和20年7月17日に沼津空襲。
当時、平町の校舎にも爆弾が落ち、沼津は焼け野原に。
当時はどんな生活をしていたのか。
昭和20年7月17日に沼津空襲。
当時、平町の校舎にも爆弾が落ち、沼津は焼け野原に。
当時はどんな生活をしていたのか。
1.戦争体験
12歳、高女に入学した年だった。
空襲の翌日学校に行くと、あたりには燻った煙と焼け焦げた臭いが漂っていた。道路も熱かった。
昭和23年、千本に木造の校舎が建ち、私たち生徒は日枝神社に疎開させてあった机や椅子を、2人1組で持ち、歩いて学校まで運んだ。
今でも思い出すのは、焼け焦げた臭いと、低空で迫ってきた機銃掃射B29を操縦していた少年のように若いパイロットの青い目。
極限状態にあったあの時は頭が真っ白になり、恐ろしいとすら感じることはできなかった。
空襲の翌日学校に行くと、あたりには燻った煙と焼け焦げた臭いが漂っていた。道路も熱かった。
昭和23年、千本に木造の校舎が建ち、私たち生徒は日枝神社に疎開させてあった机や椅子を、2人1組で持ち、歩いて学校まで運んだ。
今でも思い出すのは、焼け焦げた臭いと、低空で迫ってきた機銃掃射B29を操縦していた少年のように若いパイロットの青い目。
極限状態にあったあの時は頭が真っ白になり、恐ろしいとすら感じることはできなかった。
2.学校生活の思い出
奈良、京都へ。お米持参の修学旅行だった。
3.生徒へのメッセージ
自己探しをして自分の人生を充実したものにしてほしい。
他人と協力してほしい。
他人と協力してほしい。
