2025/04/29
イベント
創立記念講演 斎藤雅子さん(高校7回生)
今年は戦後80年。
昭和20年7月17日に沼津空襲。
当時、平町の校舎にも爆弾が落ち、沼津は焼け野原に。
当時はどんな生活をしていたのか。
1.戦争体験
小学3年生だった。爆撃弾が上から雨のように降ってくる恐怖は今でも忘れられない。一晩中、母と布団を被って狩野川に入り、飛行機が去るのを待った。亡くなった人も負傷した人もたくさんいたと思う。そんな時でも「大変だとか辛い」などとは口にできない時代だった。日本中が疲弊していた。
2.学校生活の思い出
1学年360名の生徒。制服は黒い線のあるセーラーカラー。
入学間もなく行われたソフトボール大会、運動会での仮装行列は大いに盛り上がり、私は応援団長としてパワー全開。もう戦争の影もなく明るく楽しい学校生活を送った。
明治大学フェンシング部監督、日本フェンシング協会理事の長泉町出身の土屋武さんが昭和32年の静岡国体に向けて、沼津をフェンシングの拠点にと働きかけたことをきっかけに、西高にもフェンシング部を作りたいと校長先生にお願いし部を設立。昭和29年1月”フェンシングのまち沼津”の歴史はここから始まった。
3.生徒へのメッセージ
伝統のある西高生は気品がある。とにかく「あいさつ」が基本で大事。親から子に受け継がれる。
